――そして、その翌日。 「それでねー、昨日ようやくラスボスまで行ったんだけど、アイツ諦めが悪くてねー」 「……」 タイキはいつものように、マソラと共に通学路を歩いていた。 「第108形態まで変身し続けて、しかも途中のセーブ不可で、」 この状況を忘れたのかそれとも既に慣れ切ったのか、もうすっかり以前のようにペラペラとしゃべり続ける幼なじみ。その両手にはもちろん携帯ゲーム機が握りしめられている。 それを横目で見ながら、全く隠そうともせずため息をつく。 昨晩眠りに落ちたのは良かったものの、それから目が覚める度に携帯電話の通知を確認する事10回ほど。 幸いにして現在もまだ連絡は届いていなかったが、それは同時に決して安心できない日常生活が訪れた事を意味していた。 「あークソ。ねみー……」 安眠できず寝不足な目をこすり、空を見上げて欠伸をする。 呼びつけてから5分で来い、というような非常識な事をあのネクロマンサーは流石に言わないと信じたかったが、何にしろこちらは命そのものを人質に取られているのだ。 「いくら警戒しすぎてもやりすぎ、って事はねぇだろ……」 つぶやきながら、再度電話を確認する。特段の通知は来ていなかった。 「それでね? 最後は多脚戦車から脱出したラスボスと夕暮れの中殴り合いをして、今クリア後のボーナスステージで大佐とデート中で、」 「……ホント、人生楽しそうだよなお前……」 「何よ。ゲームは楽しいんだってのよ。アンタも不機嫌そうにしてないで何かやったら? あたしのおススメは大佐シリーズの外伝のピースランナーで……」 「……はぁ」 再度、わざとらしいまでに大きくため息をつく。 この幼なじみを見ていると、自分が生き死にで悩んでいる事が馬鹿らしく思えてきた。 「……オラ、行くぞ。チンタラ歩いてんじゃねぇ。つかとっととそれしまえ。電柱にぶつかんぞ」 「あー、もう! ……知ってる? アンタ一部のクラスメイトから「閣下」って言われてるって。いっつもカッカカッカしてるから、とか」 再度空を見上げて欠伸を噛み殺してから、幼なじみを半ば強引に掴んで学校までの道のりを歩き出す。 この日常と非日常が同居した、奇妙で濃密で危険な時間。 それが、一刻も早く終わる事を願いながら。 『リンカが『原初の者(プライマル)』を捕捉した』 そんなタイトルのメールがクロエから届いたのは、5時間目の授業中だった。 慌てて携帯電話を取り落としそうになりながらも、教科書で隠すようにしてメールを開く。 『今度は逃がさない。間もなく攻撃を開始する。『セントラル』の援軍はまだ到着しないけど、その代わりリンカが何か策を用意したって言ってた。アナタたちも来て』 「……!」 とっさに隣の席の幼なじみに視線で促すと、彼女にも同じメールが届いていたらしかった。 『タイムリミットは今日の16時。それまでにアナタたちが現れなかった場合、『魂の棺桶』を砕く』 「く……っ」 教室前方の時計を見上げる。指定の時間にはまだ1時間半ほどがあった。 だが、それよりも……。 「んだよ、やっぱこっちが本性なんじゃねぇか……!」 他の誰にも聞こえないように毒づいてから、残り少なくなった文面に視線を戻す。 『これが最後。無事に終われば、アナタたちに返してあげる』 何やら地図のようなものが添付されたメールの文末は、そんな言葉で結ばれていた。 適当な理由を付けてマソラと共に授業を抜け出したタイキは、校門を出たところである「人物」を見つけた。 正確には、校門近くの塀の上にちょこんと座っている小動物を。 「やぁ、待っていたよ」 「……お迎え、ってか?」 「そんなところさ。ただ……」 「心配しなくても逃げやしねぇよ。お前、アイツに俺たちを監視しろって言われてきたんだろ?」 舌打ち気味に吐き捨てると、相手はどこか困ったように頭を掻いた。 「それでにゃんこ。プラ何とかとちびっこはどこだってのよ。あの金持ちを出し抜いて今度こそぎゃふんと……」 「……僕がここにいるのは、別件さ」 それだけ言うなり、塀から飛び降りた。 「クロエには内緒で、僕の意思だけでここにいるんだ。キミたちに伝えたい事があってね」 「……んだよ」 何だかんだで、こいつは読めない。タイキはそう思っていた。 一見協力的に見えて結局真意を吐き出さないのだから、ある意味であのネクロマンサーより警戒すべきなのかもしれない。 そんなこちらの考えを読んだかのように、彼は息を吐いた。 「疑うのは無理もないけど、少し一緒に来てほしい場所があるんだ。もちろん『原初の者(プライマル)』は関係ないよ。……大丈夫さ、クロエが指定した時間まではまだ余裕がある」 「……?」 「それにそもそも……」 その先は口にはせず灰色ネコは駅の方へと歩き出し、2人はその後を追った。 案内された先は、昨日も訪れた例の喫茶店のオープンテラスだった。 今度は数組ほどの客がケーキをつついている中、タイキは端の方の席を選んで座る。 「……で、んだよ。何の話かは知らねぇけどよ、手短にしてくれよ」 時計を確認すると、指定された時刻まで1時間を切っていた。 「そうよそうよ。せっかくあたしが……わー、流石公式チート武器の布団ミサイル……やる気十分で……無限ハチマキと合わせて無限に布団が撃てる……プラ何とかをやっつけてやろうと思ってるってのに」 隣の席で手元のゲーム機を凝視している幼なじみと、眼前のテーブルの真ん中に座り込んでいるネコ。 それらを順番に見回してから、改めて息を吐いた。 「……そうだね。でもその前に1つ質問をさせてほしいんだ」 それからトオルは、前足で頭を掻いた。 「キミ……いや、キミたちは逃げ出したいかな? この状況から」 「……?」 唐突に発せられた、そんな問いかけ。 「『原初の者(プライマル)』はもちろん、幽魔絡みの騒ぎからも身を引いて、元通りの日常生活を送りたい。……どうかな?」 それに対する答えは。 「決まってんだろ。誰が好き好んで化け物に立ち向かって命を落としたがる……っ」 とっさに、自身の口元を抑える。 だが、すぐにトオルはかぶりを振った。 「いや、罠なんかじゃないさ。キミたちの正直な気持ちを聞きたかっただけなんだ。……そっちのキミはどうかな?」 「……」 数拍置いてから、口を開く。 「あたしは、あの陰険金持ちに「参りました」って言わせられればそれでいいってのよ」 「お前、まだそんな事……!」 「じゃあさ、リンカを抜きにしたら……どうかな? もしあの彼女がいなくて、僕とクロエだけがいた場合。元の日常に戻りたいかな?」 「それは……」 少し首を捻ってから、手の内のゲーム機にポーズをかけた。 「もちろん、死ぬのはイヤだってのよ。悔しいけど、あたしよりよっぽど強いあの金持ちがいなきゃ、プラ何とかに勝てるかも分からない。だから、そういう意味では今すぐ帰りたいってのよ。けどね……」 ちょうど店員が運んできたコップの水を掴み取り、一気に流し込む。 「そんな状況だからこそ、楽しいってのよ。こんなゲームみたいな非日常の経験、多分もう2度とないし」 ふと彼女がかざした手の平に、小さい空気の渦が生まれた。 「こんなものをくれたちびっこにも感謝してる。幽魔とかネクロマンサーとかプラ何とかとか。こんな世界知っちゃったら、もう戻れないってのよ」 「キミ……」 「ちびっこには感謝してるっての。生き返らせてくれた事も、「これ」をくれた事も、こんな面白そうな事があるって教えてくれた事も」 「……キミは、死ぬ事は怖くないのかい? 死んでもゲームみたいに生き返るわけじゃ……」 「馬鹿にするんじゃないってのよ。そんなのあたしだって分かってる」 「……?」 「楽しくて、面白いってのよ。全部が全部。あのプラ何とかもね」 「だからって――」 そこでマソラはようやく、ずっと手にしていたゲーム機をケースの中にしまい込んだ。 「そんな楽しい事を教えてくれたちびっこ、放っておけないでしょ?」 「……え?」 「だから、あたしは行く。死ぬかもしれない危険な場所に、あのちびっこ……と協力する気のない金持ちがいる。ちびっこ本人は戦う力無いんでしょ? だったら、あたしが行って助けてやらないとってのよ」 「……そ、そう……なんだ」 ……。 そこでタイキは大きくため息をついた。 状況を全て理解した上で、『原初の者(プライマル)』の元へ行かないという自身と、それでも行くという幼なじみ。 脅されていても自分に比べてやけにクロエに対する敵意が無かったと思ったら、こういう事か。 「……ああ、お前はそういう奴だったな」 タイキは頭を掻きながら、本日何度目かの大きなため息を吐き出した。 ふとテーブルの上を見ると、何故か灰色ネコがどこか困ったような表情を浮かべていた。 まるで、マソラの回答が予想外だったとでも言うかのように。 「じゃ、さっさと行くってのよ。こうしているうちにも金持ちにちびっこがいびられて……」 「……で、俺はこういう奴だ」 言うなり幼なじみの裾を引っ張り、無理やりに席に再度座らせる。 「痛っ……ちょっと、何するのよ!」 「俺は行かねぇかんな。お前も行かせねぇ」 舌打ちし、もう片手でテーブルに頬杖を突く。 「あいにく俺は、この状況が楽しいだなんてカケラも思っちゃいねぇ。アイツに従わなければ殺すって脅されている以上なおさら……」 そこでふと、すっかり忘れていたその事を思い出して舌打ちし、掴んでいた手を放す。 「ああくそ! そうだったな! どのみち俺たちに選択権はないんだったな! まだ『原初の者(プライマル)』に真面目に立ち向かった方が1分くらいは長生きできるかもな!」 叫ぶと同時、唐突に昨日の別れ際の彼女の一言が脳裏に浮かんだが、頭を振ってかき消す。 「……」 しばらく押し黙って話を聞いていたトオルが、ゆっくりと口を開いた。 「さて……実は、これからの話が本題なんだ」 言いつつ、どこからか小さな包みを2つ取り出して、テーブルの上にポンと置いた。 「……んだよ」 それはまるで、中に球形のものが2つ入っているかのように見えて。 「持ち出してきたよ。あの子には秘密でね」 「まさか……!」 とっさに手を伸ばして包みを掴み取る。 それを、トオルは止めようとする素振りさえせずただ見つめていた。 その中に入っていたのは……2つの髑髏。『魂の棺桶』。 「これは確かに「キミたちの分」だよ。あの日、クロエがキミたちを脅すのに使ったという意味でね」 その言葉に若干の疑問を感じながらも、手の内にあるその感触を確かめる。 「よし、取り返したぞ……っ!」 人質にされていた命をようやく取り戻し、タイキは大きく息を吐いた。 何にせよ、これで『原初の者(プライマル)』などという危険なものと戦う必要は無くなった。 「……」 自身と同じように髑髏を手に取り、手の内で転がしている幼なじみを見やってから、眼前のネコを見つめる。 「マジで助かった。……お前、もしかして俺たちのためにアイツを裏切って……」 「……いや、そういうわけじゃないんだ」 「……?」 ふと。 灰色ネコが一瞬身をかがめたかと思うと。 目にも止まらぬ早さでタイキの手元へと飛び込み、『魂の棺桶』へと体当たりした。 「なッ――」 すぐさままるでボールのように宙に舞った髑髏を抱え、ネコは道路の方向へと走っていく。 「!」 それから髑髏を車道へと弾き飛ばし―― 次の瞬間、通り過ぎた大型トラックによって『魂の棺桶』は粉々に砕け散った。 「あ、ああ……」 心臓を抑え、その場に崩れ落ちる。 いつ死が訪れるのか、早鐘のように鳴る心臓を気遣いながら、ゆっくりとこちらへと歩いてくるトオルを睨みつける。 「……?」 だがいくら待っても心臓は止まらないし、視界も鮮明なままだった。 「……さて、ネタばらしだ」 いつの間にか自身の隣で首を傾げていたマソラと共に、灰色ネコを見つめる。 「あれ、ただのプラスチック細工だよ?」 「……は?」 「『魂の棺桶』なんてものは存在しない?」 再度席に戻ったタイキは、マソラの分の髑髏を前足で転がすトオルを見つめていた。 「そう。昔は存在したけど、現代では全て失われているマジックアイテムさ」 「じゃ、じゃあ、それは……」 「ただのアクセサリーさ。『セントラル』で支給されている、ただの装飾品だよ。……ああ、悪趣味だというのは僕も同意するよ」 「というと、アイツが俺たちを脅したのは……?」 「あの子、口下手だからさ」 髑髏を手近なゴミ箱に放ったトオルは、そのまま続ける。 「交渉事が苦手なんだよ。僕とクロエだけじゃ戦力がギリギリ。リンカは非協力的で危うい。だから、キミたちにも手伝ってほしかったんだ。今回の仕事をね」 「……」 つまり、脅しの理由は。 単にあのネクロマンサーが素直じゃなかった、という事で。 「……そうかよ」 そこでふと、昨日の寝る間際の疑問が氷解した気がした。 自身たちを脅したクロエが嘘で。 ゲームセンターを楽しんでいた彼女も、こちらを脅して従えていた事に気づいた彼女も本当で。 そして。 「……実はね、1つ嘘をついたんだ」 「?」 「『魂の棺桶』……このアクセサリーを持ち出すのに、あの子の了承は得ているよ」 「……!」 「ただの幽魔相手なら、どうにかなった。リンカが来なくても、あのエンチャントドレスや一時しのぎの『遺灰』みたいな奥の手はいくらでもあった。でも、あの『原初の者(プライマル)』は話が別だ。思った以上に力が強くなりすぎていて、キミたちが死ぬ可能性が高い」 「……」 「実物を見て、クロエもそう思ったんだろうね。昨晩ずっと迷ってたみたいだけど、全て話していいって僕にこれを渡してきてね。つい先ほどの事さ」 言いながら、トオルはテーブルから飛び降りた。 「というわけで、キミたちはもう帰っていいんだ。もちろん、危険な『原初の者(プライマル)』の再封印を手伝えとはもう言わないよ。それは僕たちだけでどうにかしてみるさ」 「……」 「ここ数日で関わった事なんて全部忘れて、大手を振って元通りの日常へと戻っていいんだ。キミたちがそうしたいのなら、僕は止めはしないさ。……巻き込んで悪かったね」 それだけ言うなりトオルは近くの屋根へと飛び移り、その姿は見えなくなった。 「……」 ふと時計を見ると、指定された時刻まで20分を切っていた。 「……で? アンタはやっぱ行きたくないっての?」 「……『原初の者(プライマル)』は危険、か」 今しがたトオルが口にしていた言葉を、小さく繰り返した。 そして、あの言葉を思い返す。 『……死なないで』 「……くそっ!」 気づくとタイキは走り出していた。 片手に握りしめた携帯電話で地図を表示させ、もう片手でマソラの裾を掴みながら。