「……はぁ」 その翌日の昼時。 タイキはごった返した学食内で、特に何をするわけでもなく頬杖を付いていた。 その正面に座っているのは、いつもの幼なじみ。 今日は普段のように弁当を作る気も起こらず、昼ご飯の調達のためにこの場所へ。 だがお互いに何かを買いに行くわけでもなく、しばらくの間この状態が続いていた。 「……」 手持無沙汰でありながらも、珍しくゲーム機を取り出さない彼女。 校則違反のゲーム機をこんな人目に付く場所で大っぴらにしない程度の常識がマソラに備わっていない事を、タイキはよく知っていた。 「……」 やはり、無言のままの彼女。 おそらく考えている事は自身と同じだろうと思った。 昨日灰色ネコから告げられた話と、そして。 「……」 それからタイキは、ここに来てからずっと思っていた疑問を吐き出した。 隣の席に座り興味深そうに辺りを見回しているクロエと、その肩に乗る灰色ネコ。 それからさらにその隣で、扇子でパタパタと自分の顔をあおぎながら行きかう生徒の顔を眺めているリンカに。 「……なんでお前らがここにいるんだよ……」 「これからの相談。仕事を手伝うって言ってもらったから」 「わたくしはあなたたちの監視ですわね。役立たずがまた新たな被害者を出さないようにと、生き返ったあなたたちの保護、といったところでしてよ」 言いつつふとクロエと視線が合うと、すぐに顔をプイッと背けた。 昨日と同じゴスロリ服のクロエに、対照的に白を基調とした春先の服装――要するにただの私服――のリンカ。 だが周囲を行き来する生徒たちは2人に何も言わず、気に留めすらしない。 そんなタイキの疑問に気づいたのか、クロエが口を開いた。 「簡単な偽装用の呪具(マジックアイテム)。アナタたち以外の誰もが、ワタシとリンカを生徒の1人として認識する」 「……そうかよ」 22世紀のロボットじゃねぇんだぞと口の中だけでつぶやきながら、ふとクロエがしきりに周囲を見回しているのに気づいた。 「何よちびっこ。何か頼みたいものでもあるっての?」 「……壁のメニュー表、食べた事ないものもいくつかあったから気になった」 「んだよ。食うならおごってやるぞ、あの豚の餌」 昨日決めた「友好的に」を意識しつつ、ちょうど彼女の視線が向いた先に貼り付けられていたチラシを親指で示す。 『今日から期間限定販売! ご飯の上にご飯がたくさん乗ってワンコイン! 特盛りご飯丼!』 「……何ですの、そのド貧民の食べ物は……」 ドン引きしているリンカは、ふとタイキの視線に気づいて扇子をパチンと閉じた。 「ああ、わたくしはおごっていただかなくて結構ですわよ。困窮しているわけではありませんので」 「……っつかお前、どこかのお嬢様か何かなのか? その、雰囲気というか態度というか」 「ええ、そうですわよ。もしも今までずっと貧乏人だと思われていたのなら、心外ですわね」 「……おう」 それからふとある事に気づいて聞いてみる。 「ところでよ、今さらなんだが……お前、名字はなんて言うんだ?」 すると彼女は、どこか面倒そうに息を吐いた。 「教える義理はありませんわね。リンカ。それで個人識別には十分でしょう?」 「……あー、じゃあお前は? っつかそもそも日本人か?」 「黒人にでも見えた?」 クロエにも問うと、同じく面倒そうな色が声に滲んだ。 「ワタシ、名字は無い」 「?」 その疑問に、トオルが答えた。 「彼女、児童施設出身なんだ。……孤児院って言った方が分かりやすいかな? で、ある日蘇生術の才能を見出されて『セントラル』に引き取られてね」 「だから本名も誕生日も知らない。昨日言った通り、クロエはただのコードネーム」 大した感慨も無くそう口にし、コップに水を注いだ。 「なに?」 ふと、無意識のうちに彼女の顔を見つめていた事に気づいた。 「……いや」 それからタイキは、前方の配膳カウンターを見やった。 生徒の列も段々と減りつつ、今並べばさほど待たなそうであった。 「……あー、お前ら何食うんだ。俺のおごりで取ってきてやる」 「お任せ。美味しそうなもの」 「同じく、お任せしますわ。お代はちゃんと払いますわよ」 「僕はいらないよ。もう済ませてきたからね」 「よろしくー」 お前にまでおごる気はねぇ、と喉元まで出かかった彼は、そのまま3人と1匹に背を向けた。 で。 「……何ですの、これは」 抱えた4つの包みと共に意気揚々と席に戻ると、リンカが顔をしかめた。 「あ、もーらい」 そしてそれをかっさらっていくマソラと、恐る恐る手に取るクロエ。 「あー、これはハンバーガーって言ってだな」 本日より期間限定メニューがご飯丼とやらに切り替わる。それはつまり昨日までは別のメニューが提供されていたという事にタイキは気づいた。 学食のおばちゃんに話を聞くと、それは近くのファストフードチェーンが出張販売していたハンバーガーであるらしかった。 で、本日廃棄寸前だったそれをどうにか交渉して安く手に入れられたのだった。 「ええと、まずは周りの紙を剥がしてだな……そのまま食うんじゃねぇぞ?」 瞬間、タイキの首筋に扇子が押し当てられた。 「……馬鹿にしてらっしゃいますの?」 「……おう、知ってたのか」 世間知らずお嬢様じゃねぇのか、とつぶやくと、相手は息を吐いた。 「……。何ですこのジャンクフードは、という意味で言ったんですの。わたくし、どうにも口に合わないもので」 「毎日フランス料理フルコースでカタツムリでも食ってんのか」 瞬間、再度扇子が構えられたので両手を挙げた。 「……仕方ねぇだろ。財布に入れといた樋口も、服に仕込んどいた秘蔵の諭吉も血まみれで、あれから補充する余裕もなかったんだ。小銭だけはどうにか洗ったが……」 財布の中を改めて見返すと、運良く生き残っていた数枚の千円札を除けばもう数百円程度しか残っていなかった。 と。 「……何これ。モシャモシャするし、味も全然しない」 顔をしかめて包装紙を食(は)んでいたクロエを、灰色ネコが慌てて押し留めていた。 「……もしやあなた、いつもこういうものを食べていますの?」 昨日のような雰囲気ではないため緊張の糸が切れたのか――いやおそらく禁断症状が出ただけだろう――ようやくゲーム機を取り出したマソラに、扇子を口元に当てた相手が眉を潜めた。 「もちろんだってのよ。土日のおやつ。手離せない時には便利だし」 「……近寄らないでくださいな。貧乏が移りますわ」 そう言うなり、自身の席をマソラから離した。 「何だってのよ、お高く留まっちゃって! 昨日も思ったけど、アンタみたいなエラそうなの、あたし嫌いなんだってのよ!」 「仕方ないですわね。現にジャンクフードを好むあなたよりも、わたくしの方が仕事でも役に立ちますし、お金もたくさんあるんですもの。見て御覧なさいな、この扇子。人間国宝が手掛けたオーダーメイドですのよ」 「こっ、この……金持ち!」 「あらあら。お褒めに預かり光栄ですわ」 「……」 そんなやり取りをタイキは無言のまま眺め、それからふと視線を横に向ける。 昼休みも終わりに近づき、次第に人も少なくなり始めた学食内を、クロエが興味深そうに歩いて回っていた。 「……なぁ、お前の職場、こういう奴らしかいねぇのか?」 ふと、自身の足元へと近寄ってきた灰色ネコへと向けてつぶやく。 「……あー、まあね」 それから相手はふと考え、それからつぶやいた。 「……僕たちの組織の中では、お金を持っている人は実力がある人、って事なんだ。ある意味でね」 「毎日札束で殴り合いでもしてんのか」 「違うよっ!? ……優秀な人は仕事がどんどん回ってきて、その分収入が増えるって事さ。だからお金持ちなんだよ。余程の浪費家でもない限りね」 「……なるほど。だからアイツは金持ちで優秀、ってわけか」 と。 口も付けなかったハンバーガーを横に押しやって席を立ったリンカが、いつの間にか学食の出入り口へと向かっていた。 その背へと向けて、マソラが指を突きつける。 「こうなったら! お化けの親分退治でもぎゃふんって言わせてやるから、覚悟しなさいってのよ!」 そこでふとタイキは、先ほどクロエが言っていた「これからの相談」、要するに幽魔の親玉についての話をまだ聞いていない事に思い当たった。 「……あ」 席に戻った彼女も同じくそれに気づいたのか、どこか困ったような表情を浮かべていた。 そしてそれらを一瞥し、リンカは再度歩き出した。 「……。わたくしはこれで失礼しますわ。こんなド貧民たちに構っている余裕なんてありませんでした。……またすぐに対象の捜索に戻りませんと」 その背へと向けて、ふとタイキは口にした。 「仕事が出来るほど金がもらえる。……お前、そんなに金が欲しいのか?」 「……。お金なんて、もう要りませんわ」 リンカの歩みが、一瞬だけ止まった。 「……?」 「わたくしが欲しいのは……」 その続きは口にせず、彼女の姿は扉の奥に消えていった。